自分の時間―――1日24時間でどう生きるか 要約・感想
初めに
アーノルド・ベネットさんの「自分の時間―――1日24時間でどう生きるか 」を読んだ。
この本のタイトルから時間の使い方に関する本であると思い読んでみた。しかし実際にはこの本は時間の使い方だけにとどまらず、豊かな人生を送ること、幸福になることにもフォーカスした本であり、人生の指標の一つになる本であるように感じた。

作者の考え・価値観
作者の考えとして「華々しく失敗するほうがつまらない成功をおさめるよりはましだ」という考えではなく「つまらない成功でも大いに結構だ」という立場をとっている。華々しかろうが何だろうが、失敗からは何も生まれないが、些細な成功は決して些細でない成功を生みだすかもしれないと考えているからだ。
また、作者はこの本の読者は「まったくやる気がない人」ではなく「いかに人生を生きるべきかという事に関心を持っている人たち」であると言っている。また、「人生に更に多くを求めるのは常に人生を味わっている人たちである」と考えている。
加えて幸福とは「肉体的・精神的快楽を得ることではなく、理性を豊かにし、自らの生活信条にかなった生き方をすることである」と述べている。作者が協調しているのは「自分の行動が自分の生活信条に一致していない人生は無意味である」という事である。 行動と生活信条を一致させるためには日々の生活をよく検討し、自分を振り返り断固として行動していくほかない。
失敗者の多くは、あまりに多くのことを企てすぎた
何かやろうと思っても多くのことをやろうとするあまりどれも中途半端になってしまった。この経験がある人は多いのではないだろうか。実際、私もその一人である。一日24時間という小さく限られた時間内にできる事は限られている。そのために時間の配分から検討していくことが必要である。
1週間に7時間半確保する
何か仕事以外にやろうと考えても時間を確保するのは簡単な事ではない。そこで作者が提案するのは週6日朝に30分と週に3日一時間半、合わせて7時間半を確保するという事だ。1時間半確保するのは一晩おきに確保し、最も重要な時間にしなければならない。
1週間のうちに7時間半を確保するというのは一見するとそこまで大変な事でないと感じるかもしれない。しかしこれはまったくもって簡単な「ささいな努力」ではない。何かを変えるには何かしらの犠牲を払わなければならない。時間を何に使っているにしろ、今私たちはこの7時間半という時間を使っている。それをもっと有効に使い意義あるものにする、これは「習慣を変える」という事である。
変化というのは必ず不便や不快感を伴う。たとえそれが改善のためであってもだ。だからこそ作者は7時間半という時間をあげたのである。 もう一つの注意点として1時間半の勉強をするのにそれ以上の時間の余裕を確保しておくべきということだ。どんなことが起こるかわからないし、決めた事を完璧に実行できるとは限らないからだ。
やることが決まっていない人は「自分の好みにあった、心の底からやりたいことをやるべき」と作者は言っている。
注意しなければならない事・待ち受けている危険
1. 物知り顔になってはいけない
時間の価値を知っている状態で注意すべきことがある。一つ目は物知り顔になってはいけないという事だ。時間を1分も無駄にせずすべて活用しようとするとき、肝に銘じておくべきことは「活用するのは”自分の時間”であって他人の時間ではない」という事だ。実際に世間では毎日膨大な時間が無駄にされていて充実した生活を送っていない人も多くいる。しかしそれを大声で言ったところでなんの解決にもならない。結局のところ、人はそれぞれ自分の人生について真剣に考えない限り本来成し得ることも成し得ないのだ。そもそも人の時間の使い方について口を出せるほど時間に余裕も人の方が多いのではないだろうか。
2. 計画の奴隷ならない
二つ目は計画の奴隷にならないようにするという事だ。計画したことは尊重しなければならないが盲目的に崇めるものではない。
3. 出だしで躓かない
最後に三つ目、一番注意するべきことは計画の出だしで躓かないようにすることだ。そのために最初の頃はあまり負担を掛けないようにすることだ。しかしそれをできる限り規則的に続けなければならない。
自分はこの本を読んでどう行動するか
この本を読んでどう行動するかをまとめたいと思う。最初にやることを絞る必要がある。実際、私はやってみたい事は多くあるし、できるならすべてをやりたい。しかしそれはかなり難しい事であるし、何も絞らずにいけばそれこそどれも中途半端に終わってしまいかねない。むしろそちらの方が可能性が高いと思う。やってみたい事は多いがその中でも私はプログラミングの勉強をしたいと思う。以前から少しずつ行ってきたが他の今後は優先度を上げて行っていきたい。特に夜の1時間半は必ず確保するようにしたい。また、朝の時間も確保するようにする。私は朝に強いとは言えないが、朝の方が時間は確保しやすいように思う。
自分の時間の使い方を振り返ってみるとかなり無駄になっている時間が多い。特にYouTubeに多くの時間を割いてしまっている。この時間を削り勉強に回すことで夜1時間半を確保できるだけでなく、削った分早く就寝するようにすることで朝起きてからの時間も確保できると考えた。
注意しなければならない事は多いが私は特に出だしで躓かないようにしたい。今までも計画をたてることにフォーカスし、結局で躓いてしまい何も実行しないということを何度も経験している。そのためにも最初うちは時間を多めに見積もり、計画を詰めすぎないようにしたい。また、計画の奴隷にならないようにしたい。これも何度も経験している。余裕をもって計画し臨機応変に対応するようにしたい。また、物知り顔にならないようにしたい。少しできるようになっても慢心せず自分の人生を豊かにできるように集中したい。できるようになるのは大分先になるかもしれないがこのことは頭にとどめておきたい。
終わりに
今までも時間の使い方に関しての本を読んできたが、この本は特に自分のためになったと思う。ページ数はそこまで多くないが多くのことを学べた。この本は単に時間の使い方を解説しただけにとどまらず、豊かな人生とは何かという指標を与えてくれた本であった。もちろん何が豊かな人生というのは千差万別であることは理解している。しかしこの作者の考えは豊かな人生というものを考えるうえで一つの指標になると思う。
繰り返しにはなるがこの本から学べることは多く、ページ数もそこまで多くない。130ページほどである。良ければ一度あなた自身にも読んでもらいたい。
ここまで読んで頂きありがとうございます。コメントなどあれば是非お願いします!
法律×ミステリー 五十嵐 律人さんの「密室法典」を読んで
五十嵐 律人さんの「密室法典」を読んだ感想をまとめました。
この「密室法典」は「六法推理」の続編になります。ただ続編であったことを知らずに読んでしまいました。せっかくなので「六法推理」を読む前にこの「密室法典」だけを読んだ感想をまとめておこうと思います。

読んでみてですが、全然前作を読んでいなくても楽しめました。
この本の特徴として事件が現代の問題に即して事件が多いように感じました。第4章まであったが、それぞれ「SNS」「整形、医療失敗」「遭難、相続の問題」「コンカフェ」でした。
今問題として取り上げられることの多い話題がテーマになってました。
ミステリー小説として見ると、かなり軽めのミステリー小説であったと思います。
主人公や他の登場人物が学生であることが多く、警察のように捜査することもできなかったので、基本的には現代状況を聞いただけで学生が解決できる、そもそも短編集であるから一つの事件に対してフォーカスされることも他の推理小説と比べると短い、という感じでかなり軽めのミステリー小説でした。
ただ、事件の解説が法律に基づいて行われていたので簡単な法律の勉強になりました。反対に事件を推理するにも法律の知識が必要な場面が多かったです。
全体を通じて、腰を据えて読むというよりは軽い気持ちで読めるミステリー小説であると思います。話のテンポもよく楽しんで読めました。
自分以外が読んでも楽しめる作品だと思うのでぜひ読んでみてください!
前作を読んでみたら感想が変わるかもしれないですが、この作品だけを読んだ感想はこんな感じになります。
「能面検事の死闘」を読んで感じた刃の向き先の違和感
初めに
てるです。今回は中山七里さんの「能面検事の死闘」を読んだ感想をまとめたいと思います。「能面検事の死闘」は能面検事シリーズの3作品目であり1作目は「能面検事」、2作目は「能面検事の奮闘」です。
能面検事シリーズとは?
能面検事シリーズはどんなことがあっても冷静で表情が変化しない事から<能面>と呼ばれる大阪地検のエース検事・不破俊太郎が事件を解決していくシリーズ。

能面検事の死闘を読んで
ロスジェネとは?
早速内容紹介を。と言いたいところだがその前にロスジェネについて触れようと思う。なぜならばこの作品のテーマの1つとしてロスジェネ世代があるからだ。
ロストジェネレーション、略してロスジェネ。
就職氷河期世代とも言え、バブル崩壊に伴った人件費削減の影響を受けて、正社員での就職ができず、やむを得ずに派遣社員やフリーターといった非正規社員で社会に出るようになった人が他の世代に比べて比較的多い。
あらすじ・内容紹介
作品の一番最初にワゴン車が南海電鉄岸和田駅の改札付近にいる利用客の列に突っ込む。それだけでは終わらず、車から出てきた運転手は刃渡り30cmの大型サバイバルナイフを手に通行に向かっていき通行人をさしだしたのだ。標的にされたのは子供や老人、女性であった。
この後すぐに駅前の騒ぎに気付いていた警官2名が現場に駆け付けた。犯人の名前は笹清政市。警官が銃を構えると同時に笹清政市は抵抗のせずおとなしく警官に捕まったのであった。
しかし笹清政市の逮捕から数日後、大阪地検にて郵便物が爆発、6名が重軽傷を負ってしまう。被疑者は自らを〈ロスト・ルサンチマン〉と名乗り、笹清政市の釈放を求める。
これによって大阪地検はこの行為をテロ行為とみなし、テロリストと司法の対決となって行く。
「復讐の刃」の向き先
この本の事件に限った話ではなく、無差別攻撃といわれる事件はある?だがしかし、本当に無差別なのだろうか?
無差別と言いながらもその対象となってしまっているのは子供や女性、老人といった弱者だ。(この場で女性と男性どっちが強いとかは議論しません。ただ傾向として男性の方が女性よりも力が強いのが現状です。)
もし社会への復讐をしたいならば社会の中心に攻め込まないのか?と疑問に思った。別に行政へのテロ行為を勧めているわけではない。社会が変わるにも行政を責めた方が変化する確率が高いように思える。繰り返しになるが行政へのテロ行為を勧めてわけではない。
読んですぐには答えが出なかったが、時間と共に1つの考えが見えてきた。
多くの場合、無差別攻撃など多くの注目がされるような事件は起こす人の言い分として「こんな自分でも何かできるんだぞ」といったものが多いように感じる。
もし仮に行政へ攻めた場合、ほとんどの確率で失敗するといえるだろう。警備員や警察官が配置されていて捕まってしまう可能性があるからだ。
一方で街中でしかも弱者を狙うことで成功率は行政を攻めた場合と比較すると各段に高まる。これによって「自分でもできる」と示せるとともに「世間からの注目」も集められる。これが復讐の刃が弱者に向かう理由なのでは?と考えた。
結局は自己顕示欲を示したいだけなのだと思う。
しかも作中では彼をさも英雄である、という主張する者すら出てくる。
断言するが人を自分の欲望のためだけに7人も殺す人が英雄であるはずがない。今の社会でも何か悪い事をしたときに崇めるようなことが起きることがある。作者はこの現状に「NO」と言いたかったのではないだろうか?
笹清政市の父親について
笹清政市が逮捕され家宅捜査の際に警察から「お父さんにも誹謗中傷などがされるかもしれない」と警官に言われていた。その時に笹清政市の父親である笹清勝信は「あまりひどかったら黙ってない」というような事を口にしていた。これを読んだ際は彼もこの後事件に関与していくのかな?と思っていたが違った。
この作品の最後のシーンで不破俊太郎は彼に会いに行く。そして彼の言葉によって笹清政市が歪んでいきこのような凶行を起こしたのだった。
作者はこれを通じて一番のモンスターは笹清政市であり生活環境や身近にいる存在がどれだけ大きな影響を与えているか、それがどれだけ重要な事かを伝えたかったのではないだろうか?
能面が崩れる
このシリーズを読んだことがある人は知っていると思うが不破俊太郎は能面である。他の人たちが焦りや不安を顔に出していても決して顔に出すことはない。
そんな彼も作品の最後の最後で能面が崩れる。それは岸和田駅にて献花台に手を挙げているシーンだ。この時彼は能面ではなく悲痛に歪んでいた。
今までこのシリーズを通してきてずっと能面を貫いていただけに驚いたし、少し安堵したのを今でも覚えている。
能面検事シリーズに続きが出るかはわからないが、このことを事務官である惣領美晴が知ったうえでどのように物語が進行していくかとても興味深い。叶うばこのシリーズの続きを読みたい。
ロスジェネ世代について補足
ロスジェネ世代と聞いてパッと思い浮かぶのが就職氷河期なのでマイナスの意味合いであると考える方も多いと思います。
ただ、ロスジェネ世代の特徴の1つとして倍率の高い厳しい就職活動を乗り越えてきたため優秀な人材が多いそうです。これに関してはあまりロスジェネ世代の方と接点がないため自分はわからないですが、言われてみれば納得します。
まとめ
- 凄惨な事件を起こしたものが「英雄」であるはずがない
- 人が考えているよりも環境や身近な存在の影響は大きい
という事を作者は伝えたかったのだと思う。
自分が周りからどのような影響をうけているか?またどんな影響を与えているかを今一度考えたい。